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星野取締役副会長逝去 楽天イーグルス

ジェシカです。
年明け早々に驚かれた方も多い様ですが、星野仙一取締役副会長が1月4日にすい臓がんにより亡くなられました。
昨年12月に行われた野球殿堂入りを祝うパーティーに参加された際は元気なお姿を見せられてましたが、容体が悪化したそうです。

享年70歳。野球を心の底から愛した星野副会長。
簡単でありますが経歴をご紹介致します。

生い立ち

1947年1月22日 岡山県児島郡福田町(現:倉敷市)生まれ。
県立倉敷商業高校卒業後、明治大学へ入学し1年次から1軍として活躍されました。
大学卒業後の1968年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位で指名されその後中日に入団。
1974年には初代セーブのタイトルと沢村賞を獲得し、セントラルリーグ優勝に貢献するという多大な功績を残されています。
そして1983年に現役を退団。

監督時代

1987年~2001年まで長きに渡り中日の監督を就任。
熱血気質の為か鉄拳制裁を選手にふるっていましたが、恨みを買われるどころか選手から慕われる存在になっていたそうです。
1988年・1999年にリーグ優勝へと導きました。

その後、阪神タイガースの監督に就任。
2001年まで最下位が続いていたチームを2003年にはリーグ優勝までという輝かしい功績も残されています。

阪神の監督を退任されてからは、阪神のシニアディレクター兼タレント兼解説者としても活躍。
2007年に北京五輪日本代表監督を就任。

そして2010年に我らが楽天イーグルスの監督に就任されました。
就任されてからわずか1年ちょっとで東日本大震災が発生。
しかしこの事が起きてからチームの雰囲気が変わり、2年後には球団創設から9年でリーグ初優勝。
中日、阪神、楽天と3度もリーグ優勝へと導きました。

 

試合中不可解なことがあれば全力で抗議をする姿から、【闘将】とも呼ばれるほど熱血であった星野副会長。
亡くなる直前まで『コーチ会議に出られるかな』とも発言するほど野球を愛していました。

『監督とのお別れの場を設けてほしい』と声が多く寄せられたとのことで
1月7日から3日間、楽天生命パークに献花台が設置されています。

あまりにも突然の知らせだったので驚愕しました。
弊社からも哀悼の意を表します。心よりお悔やみ申し上げます。